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しっぽが書いたものもの。
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貴方の悲しみを掬い取りたい。

貴方に喜びの全てを与えてあげたい。

ああ 私はこの世の美しきもの全部で貴方を満たしたい。

 

*****

 

阿重霞は柾木家にある裏山を登っていた。

昼時を過ぎても天地が帰って来ないから探しに来たのだ。

 

「天地様ったら、一寸畑に行ってくるなんて言ったきり帰って来ないんですから」

 

畑まで天地に声をかけにやって来た阿重霞を裏山に誘ったのは魎皇鬼だった。

魎皇鬼は天地の匂いのする方に向かって駆け出している。

 

「本当に天地様がいらっしゃるんでしょうね、魎ちゃん」

「みゃあん!」

 

歩いても歩いても天地の元へ辿りつかない阿重霞は溜め息を吐き、足を止めた。

普段、山道など登らない足は、少し歩いて来ただけでもすぐに痛くなる。

風が木々の間を抜けて行く。木洩れ日とはいえ、夏の日差しに阿重霞は汗を拭った。

 

「みゃあん!みゃあん!」

 

魎皇鬼の一際大きな声にハッとして、阿重霞はそちらに足を早めた。

 

「天地様がいらしたんですの?魎ちゃ…」

 

駆け寄った阿重霞は魎皇鬼の姿を見て、目を丸くして立ち止まった。

見れば天地が木々の間で横たわっている。

 

「て…天地様!」

 

一瞬気が動転した阿重霞だったが、天地の横にしゃがみ込み、その息を確認するとほっとした表情になった。

 

「寝ていらっしゃるのね。もう、人の気も知らないで」

 

呑気に寝息を立ている天地を阿重霞は憎らしく思ったが、その緩みきった表情を見ていたら自然とそんな怒りなど消えてしまった。

 

木洩れ日の中で、天地はすやすやと良く寝ていた。

幼さすら残るその寝顔を見ていると、まだ子どもなんだわと阿重霞は感じた。

まだ天地様は自分の夢さえ持てない子ども。そこに私達が押し掛けて、やれ将来だの、血の宿命だの騒ぎ立てているにすぎないんだわ。天地様が望んだ訳ではないのに。

 

阿重霞はそっと天地の髪を撫でてやった。

そう、天地様はまだ子ども。

私が思いを寄せたところで、天地様には大きすぎる愛なのかもしれない。

天地様はこの暮らしに満足なさっているの?

私と逢えて良かったと少しでも思って下さっているの?

私は、私は貴方と逢えなければ、こんなに笑って人生を送っていないかもしれない。

 

阿重霞の脳裏にこれまでの日々が浮かんで来る。

その日々のどれを取っても、阿重霞の瞳には天地が映っていた。

 

天地様。私は貴方から貰ったこの日々を本当に大切に思っています。

本当に幸せで楽しい日々。天地様には感謝してもしきれないわ。

だから、私も―。

 

阿重霞の瞳に愛情が浮かび、慈しみに満ちた表情になる。阿重霞は天地の髪に滑らせた指を自分の膝の上に置いた。

 

もし。もし出逢えて居なかったらどうなっていたのでしょう。そんなの考えたくない。

天地様と暮らした日々が私の全て。でも、時々思うの。私と逢う前の貴方の事を。魎呼が知っている、貴方の小さき頃を。私はその頃の貴方に逢いたいわ。どんな顔をして笑っていらしたの。どんな事で泣いたの。どんな幸せに包まれていたの。

出来るなら…そう、私はお母様に逢いたかったですわ。貴方を真っ直ぐに、優しい人に育てたお母様に。いいえ、逢いたいのではないのかもしれない。

 

「みゃあん」

 

魎皇鬼が阿重霞の指先を舐める。砂沙美が待っているから天地を起こそうと言うのだ。

阿重霞はその小さな頭を撫でてやり、

 

「もう少しだけ、寝かせてあげましょう」

 

と囁いた。

天地は良く眠っていて、魎皇鬼が鳴いても起きる気配がなかった。

ふふ、よっぽど心地良いのね。

阿重霞は天地の肩を優しく、赤子にする様にポンポンとゆっくりと軽く叩いた。

それでも天地は目を開けない。

 

そう。私はお母様に逢いたいのではない。私がお母様になりたかった。天地様の。

突拍子も無い事だと充分理解していたが、そんな考えが過る。

 

天地様のお母様になって、天地様にひとつひとつ喜びを与えたい。生まれてきた喜び、生きている喜び、此処に居る喜びを。美しい花も、星の名前も、季節の移り変わりも、全て教えたい。私が天地様に教えて貰った様に。そして、天地様に降りかかる悲しみの数々を掬い取ってあげたい。私が貴方のお母様なら、絶対に貴方を独りにはさせない、悲しませないわ。

 

この世界の美しいもの全てで貴方の日々を彩りたい。

貴方が私にそうしてくれたように。

私の願いはたったひとつ。ひとつきり。

 

「みゃあああん」

 

お腹が空いたのか、魎皇鬼が待ちくたびれて鳴き出した。もう良いだろうと天地の頬をペロリと舐める。

 

「こら、魎ちゃん。天地様が起きてしまうわ」

 

もう少しその寝顔を見守っていたいと阿重霞は魎皇鬼を止めた。

しかし、風が天地の頬を撫で、天地がゆっくりと目を覚ました。

ぼんやりと視線を彷徨わせ、自分の顔を覗き込む阿重霞の姿を捕らえると、天地は瞬きを数回し、ガバリと身体を起こした。

 

「あ、阿重霞さん!?」

「おはようございます、天地様」

「あ…俺、一寸涼みに来たら寝ちゃって…あれ…どのくらい寝てたんだろう」

「随分と長い事、気持ち良さそうに寝ていらっしゃいましたわよ」

 

焦る天地の様子が可笑しく、阿重霞はクスクスと笑った。

少ししたら帰ろうと思っていたのになあと、天地は困惑した顔でボリボリと頭を掻いた。

 

「天地様、寝癖」

「あ…寝ていたってバレちゃいますね」

 

恥ずかしそうに首を竦める天地に、また阿重霞はクスクスと笑った。

 

「仕方ありませんわ、家よりも此処の方が風が通って涼しいですもの」

「面目無いです」

「みゃあん!」

「あれ?魎皇鬼も来てくれてたのか?」

「魎ちゃんが天地様を見つけてくれたんですのよ」

「そっか、阿重霞さん連れて来たのか。ありがとうな」

「みゃああん!」

 

天地に誉められて喜んだ魎皇鬼が、立ち上がった天地の肩に乗り、嬉しそうに天地の頬を舐めた。

 

二人と一匹は、昼ご飯を作っていた砂沙美が今頃、ろくろっ首になっているかもしれないと笑いながら下山した。

歩きながら、自然と天地が阿重霞の手を取る。

 

「山道は、歩き慣れないと大変ですから。特に下りは」

 

照れつつ、手を繋ぐ天地に、阿重霞は微笑した。

 

「天地様がいらっしゃればどんな所も心強いですわ」

「え、そんな事ないですよ?」

「いいえ、私にとってはそうなのです」

 

阿重霞が言うと、天地は頬を赤くし俯いてしまった。

黙ったまま下を向き、歩いていた二人だったが、足元に咲く花にふと阿重霞が足を止めた。

 

「見て、天地様。綺麗な黄色いお花」

「ああ、本当だ」

「何て言うお花でしょう」

「あー…山の花までは一寸分かんないや。帰ったら、親父の書庫にある図鑑で調べてみましょう」

「ええ、それが良いですわ」

 

美しい黄色い花は、ポッと心に灯が点った様な温かさを感じた。幸福な色だと阿重霞は思った。

再び歩き出す天地に、阿重霞はそのまま足を止め花を見つめていた。

怪訝そうに天地が阿重霞を振り返る。阿重霞は花に視線を落としたままで、呟いた。

 

「天地様、私、もっと知りたいですわ」

「え…、」

「この星の事、この辺りの事、天地様がこれまで暮らして来た日々を私はもっと知りたい」

 

黄色い可憐な花を慈愛に満ちた瞳で見つめる阿重霞に天地は少しドキっとした。

 

「ね、天地様、教えて下さいな。これまでの事。私に沢山教えて下さい。私、天地様のお話が聞きたいです」

 

顔を上げると阿重霞はじっと天地の瞳を見た。愛情溢れる眼差しに天地は目が逸らせずにいた。ぎゅっと阿重霞の指先に力が籠る。その指を天地は握り返しながら、阿重霞に言った。

 

「分かりました、阿重霞さん。昼ご飯食べ終わったら、昔の話しますよ。ああそうだ、写真も見ますか?」

「お写真、ありますの?」

「ええ、多分。親父の部屋か俺の部屋にアルバムがありますよ」

「赤ちゃんだった天地様、さぞ可愛らしかったでしょうね」

「いやぁ、どうかな」

「いいえ、きっと可愛かったに違いありませんわ」

 

阿重霞は目を輝かせそう言うと、天地と共にまた歩き出した。

 

写真でも良い。少しでも良い。貴方に触れたい。貴方の記憶を辿りたい。

いつか、本当にいつの日か、私が貴方の喜びになれるまで、私は貴方の日々を見守り、沢山の幸福で満たしたい。

貴方が私の幸福そのものだから。その心に美しき世界を映したい。

 

阿重霞の嬉しそうな様子に天地もにっこりと微笑んだ。

これが幸せ。今がかけがえのないもの。

阿重霞の心に温かい想いが満ちて行く。

 

「どんなお写真があるか楽しみですわ」

「ご期待に添えると良いんですけど」

 

困った様に眉を下げて笑う天地に、阿重霞は嬉しそうに咲ったのだった。

 

 

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